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  [ブランド名]マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)

[解説]
 古着のリメイクやブカブカのオーバーサイズなど、実験的な服を提案し続ける前衛的なブランドです。地下足袋からインスパイアされて考案した、足袋型の履物でも有名です。

 ベルギーのアントワープ王立美術学院出身のマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)がデザイナー。「コム・デ・ギャルソン(COMME des GARCONS)」のデザイナー、川久保玲への傾倒を公言しています。

 1980年代後半につぎはぎの浮浪者風ファッションを打ち出し、パリのモード界にショックを与えたことで有名です。その新スタイルは「ポペリスム(貧乏主義)」「シャビールック(shabby look、「みすぼらしい格好」という意味)」と名付けられました。過剰な装飾を排除する省略の技法は彼の持ち味となっています。

 フランスの老舗ブランド「エルメス(Hermes)」で97年から、女性プレタポルテ部門を担当。2004年春夏で契約が切れ、後任にはジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)が就任しました。マルジェラはゴルチエの下で働いたことがあり、不思議な因縁を感じさせます。

 「服」という約束を解体して再構築する、反逆のチャレンジャーです。 2005年春夏パリコレクションではストッキングをつなげたブラウスを提案。ワンピースの両脇からもう1枚のワンピースが突き出す斬新な作品も披露しました。2003―2004年秋冬の「マルタン・マルジェラ」では袖を前身頃に使ったジャケットを見せました。2003年春夏ではスカートの端を腰辺りまでつまみあげて留めた作品を発表。コンセプチュアル(概念的)な試みをあの手この手で繰り返しています。

 東京・南青山に2002年にオープンした、国内2店目の直営店はオフィスビルの一室を転用。FROM-1stビルの301号室という、隠れ家的な造りで話題を呼びました。東京・恵比寿に2000年、オープンした世界初の路面店「マルタン・マルジェラ・トウキョウ」は1945年に建てられた古い木造家屋を丸ごと店舗に使い、浴槽やキッチンもそのまま売り場に活用しました。

 服に「時間」という要素を採り入れる動きの先駆者と言えるでしょう。古着の再生は既にマルジェラのライフワークとなった感すらあります。2002年秋冬では古着をつなぎ合わせたような作品を提案しました。毛皮とビニールという「格違い」素材の組み合わせからも、時間軸をずらす企みがうかがえます。古い手袋を縫い合わせたタンクトップや軍隊用靴下を組み合わせたセーターを出したこともあります。

 スタイル抜群のモデルでなくても着られる服という挑戦も続けています。どんな体格の人でも着られるオーバーサイズの服もその一つでしょう。ボディを無理に締め付けず、動きを制約しない服自体が、既成のモード界への反逆となっています。「エルメス」のショーでも一般女性を起用。職種がばらばらの10〜50代の女性たちにキャットウォークを歩かせました。過去にはモデル全員の顔をスカーフで覆ったこともありました。

 ほつれたままの布地を用いたいわゆる「グランジルック」を89年に発表し、一つの潮流を作りました。袖も襟もない「未完成」状態のジャケットに代表される、「服」としてまだ完成していない作品は荒々しいエネルギーをみなぎらせていました。一見、ボロボロで貧乏ったらしいスタイルは、80年代の「コンサバリッチ」なスタイルへの強烈なアンチテーゼとして高く評価されました。近年、デニムで広まっている「デストロイ」スタイルの先駆けとも見えます。

 マルジェラの服のタグにはブランド名の表記がない。白い木綿の布が縫い付けてあるだけです。印刷されているのはカレンダーのように1から順番に並んだ数字。丸の付いている数字が、その服の属するラインを示しています。あえてブランド名やデザイナー名を明記しないところに、ブランド名ばかりが重視され、作品そのものの存在が軽んじられることを拒否する姿勢が感じられます。

 88年、最初の「タビシューズ」を発表しました。足袋のようにつま先が二つに割れていて履きやすい。今ではマルジェラの代表作となっていて、膝丈やもも丈、ショートブーツ風など、シーズンごとに新作を出しています。  「崩し」の美学や黒への傾斜など、様々な点で川久保からの影響が色濃く見て取れます。98年春夏のパリコレでは「コム・デ・ギャルソン」と合同でショーを開催したほどです。デビュー当初から、この点を問題視する指摘がなされてきました。「エルメス」を離れて、自分のブランドに集中できるようになった今、「脱・川久保」の新たなチャレンジが期待されます。

●ブランドデータ


[本国]
フランス(パリ)


[経営・日本での展開]
 フランスのヌフ社が「マルタン・マルジェラ」ブランドを展開。日本ではヌフ社と、三菱商事、オリゾンティの3社が共同出資で輸入販売会社「ここのえ」を1999年に設立した。現在の出資比率はヌフ社51%、三菱商事49%。東京・恵比寿の旗艦店などを運営している。

 マルタン・マルジェラ氏は「9」という数字が好きなようで、ヌフ社の「neuf」とは、フはフランス語で「9」という意味。日本法人の「ここのえ」も漢字で書けば「九重(ここのえ)」となり、「9」につながる。

 オリゾンティは、アパレルメーカー大手のワールドの子会社だったが、2001年に伊藤忠商事の傘下に入った。セレクトショップ「インタープラネット」を展開。「ヴィヴィアン・ウエストウッド」の店舗運営も担当している。

 世界初の路面店が2000年、東京・恵比寿に開店。2002年に東京・青山、2003年に大阪・南船場に直営店がオープン。

[歴史]
 マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)氏は1957年、ベルギーのランブール生まれ。ファッション界の名門、アントワープ王立美術学院で学び、79年にファッション科を卒業。フリーのスタイリストに。84年、ジャン・ポール・ゴルティエ氏のショーを見て感銘を受け、アシスタントになった。

 89年春夏パリコレクションで「マルタン・マルジェラ」ブランドとしてデビュー。古着を素材にしたり、わざと古着風に仕上げたりした「シャビールック」で、ファッション界に衝撃を与えた。以後、いわゆる「グランジファッション」の先駆者として新潮流を作り出した。98年春夏のパリコレで、尊敬する川久保玲氏と合同で作品を発表した。

 フランスの老舗ブランド「エルメス」は97年、マルジェラ氏を女性プレタポルテ(高級既製服)の主任ディレクターに起用。98―99年秋冬から2004年春夏で契約が終了。後任はジャン・ポール・ゴルチエ氏。

 アン・ドゥムルメステールやドリス・ヴァンノッテンらいわゆる「アントワープ派」の代表格。ただし、86年にロンドンの展示会に合同出展した同アカデミーの卒業生6人、いわゆる「アントワープ6(the Antwerp Six)」のオリジナルメンバーではない。その一人だったマリナ・イー(Marina Yee)氏がデザイナーを引退した後、マルジェラ氏を「アントワープ6」に含めるようになったという。

 マスコミに顔を見せないことでも知られる。現代のファッションデザイナー150人を解説した大著『ファッション・ナウ』(タッシェン・ジャパン刊)でもデザイナー本人の写真はなく、空席の椅子だけが写っていた。文書による質問を除いてインタビューは受けない。

 数字にこだわるマルジェラ氏の作品には、有名な「カレンダータグ」が付いている。小さい布にカレンダーのように1から順番に数字を並べたもので、その数字のうちの一つに丸が付いている。

 丸が付いている数字が意味するのは、その服がどのラインに属するかだ。例えば「1」はレディースのコレクションライン、「6」はレディースのベーシックライン、「10」はメンズだ。既製品を手仕事で作り直した「アーティザナルライン」があるのも、古着のリメイクを得意とするマルジェラ氏らしい。


[キーワード]
古着、オーバーサイズ、ポペリスム(貧乏主義)、アントイワープ派

[魅力、特徴]
 奇抜な試みの印象が強すぎて、敬遠されがちですが、アイテムとしてはジャケットやシャツ、カットソーなど、大半のものがベーシックなデザイン。オーバーサイズだけは例外ですが。色は黒や白、茶が主流で、ほかの服と合わせやすい。

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